オーストラリアで漁師になった話

こんにちは。takumiko@kangaroodays717 )です。

私は2016年から2年間、ワーキングホリデー制度を利用し、オーストラリアで働いていました。

2年間で色々な仕事を体験したのですが、その中でも群を抜いて奇抜な職業だったのが漁師

今回は私の漁師ライフをみなさんとシェアいたします。

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私が漁師をしていたのは西オーストラリアのフリーマントルという港町。州都のパースから電車で30分ほど南下したところにある、シーフードと可愛い町並みで有名な観光地です。

私は相方の吉田と共に、街の外れにある港から日帰りのイワシ漁に出ていました。

漁師の1日

2:50 起床

漁に出るのに特に用意なんてないのでギリギリに起床。当時はシェアハウスに住んでいたので、他のシェアメイトを起こさないようにコソコソと出かけます。

3:15 出港

眠たい目をこすりながら出港。夜の海は静けさで満ちています。

漁を行うポイントは大体決まっていて、船長のジムがレーダーで水中を探りながらイワシの群れを探します。

↑船内はこんな感じ。

 

船員は全部で5人。新人の私と相方の吉田、漁師歴40年の船長のジム、仕事もプライベートも釣りばかりの副船長デイビット、お調子者で寝坊ばかりするダニエル。

船は朝3時から出航していますが、実際の漁が始まるまでは特にすることが無いので船の上では基本的に自由時間。音楽を聴いたり、ゲームしたり、携帯いじったり、みんな好きなことをして過ごします。私は船酔いが酷かったので、1分でも時間があれば寝てました。

↑隙あらば寝る

 

6:00 漁開始

イワシといえばサーディンランで有名。この群れを見つけ次第、漁に取り掛かります。

やり方は至ってシンプル。まず、イワシの群れを中心に、大きな円を描きながら網を落とします。網を落としきったら素早く網を閉じ、イワシを大きな網で囲い込みます。そして落とした網を機械でじわじわ引き上げ、イワシをどんどん海面へと持ち上げます。


↑吉田とダニエルは次の漁に向けて引き上がって来る網を綺麗に畳みます。めちゃ汚れる。
↑引き上がったらこんな感じ。
↑私は網を引き上げる機械の操縦を担当。私は汚れないし楽チン。

 

手の届く範囲まで網が持ち上がったら、掃除機のような機械で魚を吸い上げ、船に積んである水槽へ魚を詰め込みます。

1回の漁で30分〜1時間。多いときは1日に3回ほどこの作業を行います。

7:00 漁終了

日が昇ってきたら漁は終了。港へ帰ります。

8:00 帰港・荷下ろし


↑おこぼれ欲しさに鳥が集まります

 

港に着いたら、今度は魚を工場へ輸送。船の水槽から車の後ろに積んだコンテナへ魚を積んでいきます。

↑バキュームで陸まであげて、最後は手作業でコ
ンテナに入れていく。

↑かわいい鳥に魚をあげるのが私の楽しみ。

 

ここまでで、漁師の仕事は終了。

こんな毎日を風の強い日を除いて月曜日から金曜日の週5回。土日と祝日はお休みです。

釣れるか釣れないかは魚と船長次第

上の1日はことが上手く運び、ちゃんと釣れた日の話。日によっては全く魚が見つからず、ただクルージングして帰るだけの日も。

また、魚が見つかったとしても必ず捕まえれるわけではありません。とりあえずハプニングが多い。

一番よくあったのが、網に大穴。漁を行った場所が浅すぎて鋭い岩に引っかかってしまったり、網が古くなって破けちゃったりして大きい穴が空いてしまい、逃げ道に気付いたイワシがそこからごっそり逃げてしまうことがよくありました。(そんな日の帰り道はみんなでしょんぼり網を縫う。)

またイルカが常に横取りを狙っています。フリーマントル付近にはイルカがたくさん住んでいて、朝ごはんがてらに漁を見にやってきます。ちょっとぐらい食べるぶんにはいいのですが、網を閉じている最中にイルカがイワシの大群を追い回してしまって、閉じたときには全部網の外に逃げちゃった、ということもよくありました。

他にも網が他の船にひかかっちゃったり、そもそも出港前にエンジンがつかなくて船が出せなかったり、誰かが寝坊して出港が遅くなったり、毎日何かしら問題が。。

海の男たちは基本的に口が悪いので、私は船の上でたくさんFワードの使い方を学びました。

↑イルカ

漁師になった経緯

そもそも、なんでオーストラリアまで来て漁師になったのかというと、たまたまです。

元々、相方の吉田が”オーストラリアの漁師はものすごく稼げるらしい”という情報を聞きつけ、漁師で一攫千金を狙って西オーストラリアに滞在していました。

私は途中から合流したのですが、一緒に漁師になりたいという気持ちは一ミリもなく、普通に陸でレストランとかホテルでホスピタリティー系の仕事を探していました。

が、時期が悪かったのか2人ともなかなか仕事が見つからず、貯金も底を着き始めていたので、一旦街を離れて仕事があるという農家へファームジョブをしに行くことに。出発前、一縷の望みをかけて、2人の履歴書を港のトイレに貼り付け、フリーマントルを去りました。

このファームでの仕事がきつく(軍隊みたいだった)、毎日辞めたいとこぼし続けた1週間後、なんと履歴書を見たというおじさんから2人とも明日にでも働きに来て欲しいと電話が!

吉田は漁師がしたいし、私は一刻も早くファームを辞めたかったので、断る理由はありませんでした。こうして、晴れてフリーマントルでの漁師生活が始まりました。


オーストラリアに来る前はこんな格好になるとは思いもしなかった。

 

第一次産業はギャンブル

漁師になって身にしみて感じたのは第一次産業の大変さ。

私たちの相手は自然。対人間のように交渉の余地はありません。魚が釣れればその分収入になりますが、釣れなければ収入はゼロ。どんなに頑張っても釣れなければ全く報われない、白黒がはっきりつく仕事です。

私たちの仕事も歩合制だったので漁に出かけても釣れなければ給料はゼロ。天候や海の状況にとても左右される仕事だったので、収入は不安定でした。漁師になって、自然を相手に仕事する大変さを体験しました。

ただし、反対に当たれば2〜3時間で300ドルぐらい稼げることもあるので、これはまさにギャンブルだなと思いました。

↑魚が大量に獲れウホウホ写真を撮るの船長ジム。釣れなかったら船員の私たちも大変だけれど、船長はもっと大変なのです。

魚はもちろん食べ放題

漁師になったものの、私たちが漁を始めた時期は船長に言わせるところ「史上最悪」の取れ高だったそうで、正直家計はカツカツでした。後に耐えきれなくなって、私は他の仕事を掛け持ちしたのですが、そんな貧困の中を助けてくれたのがお魚たち

網を投げれば何かしら引っかかるので、毎日フレッシュな魚が食べ放題でした。狙いのイワシはもちろん、小型のサメやイカ、タコ、エビ、サワラ、カレイ、トビウオなどがこのころの主食でした。毎日おさかな天国。

なんでもやってみることの大切さ

結局、不作が長く続き全然儲からず、掛け持ちでしていた他のアルバイトが忙しくなったこともあって、私は4ヶ月で漁師を辞めました。(相方はその後1年間漁師を続けてまあまあ稼げるようになっていました)

思ったようにお金は全然稼げませんでしたが、漁師として働いてみてよかったなと思っています。

忙しい日々を過ごす私たちは、目標までの最短ルートが人生においての最良のルートだと思い混んでしまいがちですが、必ずしもそうとは限りません。意にそぐわないところで蒔いたタネが(私の場合はジムに拾われましたが)、思いもよらないところで花を咲かせることはよくあります。

4ヶ月間、眠い目をこすって漁に出たにもかかわらず釣れなくて、ただ魚臭くなって帰ることもよくありました。そういうときは、私、オーストラリアまで来て何してるんだろう?と自問自答を繰り返しましたが、後に漁師というキーワードをきっかけにやりたかった仕事に就けたり、人に興味を持ってもらえたり、自分の世界が広がったことがたくさんあります。

また、日常生活では、自然を相手にする厳しさを知ったから、どうしてこの魚はこんなに安いんだろう/高いんだろう?魚だけに限らず、野菜や木材など、これはどこから来ていて、どのように私の元までたどり着くんだろう?と考えるようになりました。

もし知らなかったら、その有り難みもよく理解せずにただただ消費していたでしょう。私が今熱心に取り組んでいる「エシカル」という概念にもたどり着かなかったかもしれません。

回り道は無駄なんかじゃない。後先ばっかり考えすぎず、なんでも飛び込んでみればいいんじゃない?

人生を楽観的に捉える大事なヒントを得た、オーストラリア漁師生活でしたとさ。